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その62 「もく星号」墓参 |
先日、仕事で伊豆大島へ出掛けてきた。朝8時に竹芝桟橋出発、夕刻帰京の弾丸ツアーだが、ジェット船のおかげで片道1時間45分の旅である。 島は紫陽花(あじさい)の季節。6月中旬から7月上旬が見ごろになる。島内に「あじさいレインボーライン」という、4・8キロのウォーキングコースがあり、曲がりくねった小道は最盛期には紫、薄桃色、白などでカラフルに彩られる。その数、3万株。 紫陽花の命名は唐代の詩人・白居易だと、作家の陳舜臣が「六甲随筆」で記している。日本で言う紫陽花は、実際の花とは異なるそうだが、紫色に、ほのかに甘い香りを放つこの花は「紫陽花」の文字がいかにも似合う。梅雨の、か細い雨筋に薄明かり、それが多彩な花弁を透いてしっとりとした繚乱となる。栗鼠が小道を駆け抜けた。 古く、多くの俳人が句を残している。 「紫陽花や 薮の小庭の 別座敷」は松尾芭蕉。「紫陽花の 末一色と なりにけり」が小林一茶である。 さて、帰り際に案内役の人が「せっかく来たんだから、足を伸ばしてみませんか」と声をかけてくれた。車で島の東海岸を走る。バス停「大砂漠」から途中、車を捨て徒歩で10分ほど。視界が突然開け、褐色の、巨大なスロープと砂漠が目に飛び込んでくる。一般に三原山は正面から見ると御神火立ち上る、緑の山である。ところがその裏側は、吐き出す噴煙、ガスの影響で草木が育たない。広漠、寂寥の風景が広がる。 見上げた斜面に1基、供養塔が見えた。黄色い花が供えられていた。「あれは?」と声をかけたら案内の人間は「もく星号墜落で亡くなった人たちの慰霊塔です」と言う。 1952年(昭27)4月9日、羽田発名古屋・伊丹経由福岡行きの日航機・もく星号は羽田を午前7時42分に離陸した直後に消息を絶ち、翌朝三原山山腹に墜落しているのが確認された。乗客、乗務員37人全員死亡。いまは知る人も少なかろうが、活弁士・漫談家の大辻司郎や八幡製鐵社長の三鬼隆などの著名人も搭乗していた。終戦直後の忌まわしい航空機事故である。もっとも、当方が生まれる前の事故で、「なるほど、ここが…」と息を呑んだ。「この褐色の斜面に墜落したそうです。パイロットは、この山肌を滑り降りるつもりだったのでしょうか」と案内人が説明した。 今だ、遺族であろうか、慰霊碑への墓参が続く。屹立(きつりつ)する搭は、今は見えぬ残骸(ざんがい)を見下ろすようにして、天に伸びている。 ここからは余談―。昨年来、私が日刊スポーツ紙面で連載してきた「ぼちぼち歩こう 墓地散歩」(日刊スポーツ出版社刊=税込1365円)が1冊の本になった。思い出の人々の、死にまつわるストーリー51編に、墓地散歩のための霊園ガイドを追加し、197人の墓を訪れた。一度、手に取ってもらえたらありがたい。
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