その58

飛び込む理由

 

 エレベーターが途中階で止まり、ドアが開いた。小太りの、50歳代後半と思われる男性がハンカチで顔をぬぐいながら飛び込んできた。エレベーター内に居合わせた、恰幅の良い男性が思わず声をかけた。
 「あんた、やるじゃないの。どうやって食い込んだんだ」。
 顔見知りだったのだろう。声をかけた男性の胸には向日葵(ひまわり)のバッジ。弁護士同士の会話である。
 「いやぁ、飛び込み、飛び込み」。
 そう言って、ハンカチ氏は次の階でパタパタと飛び出していった。
 「あいつ、ほら相撲の裁判騒動に首を突っ込んでるんだよ。昼間のテレビで会見していたよ。驚いた」と仲間内の会話が地上階に到着するまで続いた。東京は霞ヶ関、東京地方裁判所での風景である。
 俗に言う「飛び込み営業」。たとえば企業の営業担当者が見知らぬ家のドアを叩いて商品を売る、宣伝をする。これと同じことを弁護士先生もやっているのだろうか。マスコミ等の情報から、「これは裁判になる」と踏めば自ら話を持ち込んで弁護を請け負う。前述の会話もそんなニュアンスである。
 その事実関係はともかく、かつて高学歴・高給料の見本と言われた弁護士先生を取り巻く環境は昨今の不況と無縁ではないらしい。先日の新聞には、首都圏の弁護士事務所に就職を目指す司法修習生が、わずかな採用枠に100人、200人と詰め掛けたとあった。司法試験合格者が増えた影響で、競争率が高まり、新人弁護士の給料は下がる一方だそうだ。
 「そりゃ、大変だよ」と知り合いの弁護士がぼやいた。
新人弁護士が独立するまで先輩事務所に居候(いそうろう)するのが「イソ弁」、固定給も無く、机(軒=のき)だけを借りる独立採算型の「ノキ弁」、彼らを雇っている「ボス弁」などなかなかユニークな業界用語も教えてもらったが、自由業という弁護士はサラリーマンと違って病気にでもなって働けなければ収入はなくなる。個人で見つけてきた事件にかかる経費はもちろん自分持ちになる。所属する「ボス弁」への上納金? も場所によっては発生する。加えて勉強会、学会出席、弁護士同士の付き合いと、金の掛かる場面は山ほどある。
大麻吸引をめぐって、相撲界は大騒ぎである。その成り行きは気になるところだが、旧態依然とした角界の意識改革へ、紙面に登場する弁護士の活躍も期待したいところではある。