その56

炎上の記憶

 

 8月20日、台北からの中華航空機120便が那覇空港で炎上した。
 そういえば、と思い出したのが、1981年(昭56)8月22日に台湾で起きた航空機墜落事故である。この台湾航空機に乗っていたのが、取材旅行中の、向田邦子さんだった。あれからもう四半世紀が経ったということか。
 向田さんについて、多くを語る必要はないかも知れない。脚本家として1000本以上を手がけ、とりわけ、「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「阿修羅のごとく」、「あ・うん」、「だいこんの花」、「七人の孫」などテレビドラマを記憶している方も多かろう。小説家としても80年に直木賞を受賞、エッセイの代表作には「父の詫び状」など。
 故・山本夏彦さんが週刊文春の彼女の連載を読んで「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と絶賛したのは有名な話である。
 享年51。
 8月22日は向田さんの祥月命日になる。その作品が好きで、毎年夏になると向田さんを思い出したが、今年は那覇空港の炎上事故が重なった。
 これも故人となってしまったが、向田さんのよき理解者だった久世光彦さんのエッセイ(「この人生の並木道」恒文社刊)に「二つの灰皿」がある。
 「縁のあちこちが欠けていて、いくつかの焼け焦げが目立つ、茶色のほうは、向田邦子さんが生前愛用していたもので」、彼女の13回忌を機会に、形見分けとして久世さんがもらったものだそうだ。
 「私の家に来る古い友人たちは、この灰皿を見つけて、ふと首を傾げる。見覚えがあるのだ。二十数年前のあのころは、いまと違ってみんな煙草を吸っていた。健康のことなどまるで考えないで、元気だった。そして、向田さんも私たちも、みんな若かった」。
 彼女の遺品は、「かごしま近代文学館」に寄贈され、常設展示されている。