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その51 桜の由来 |
まだ巨人の練習場が多摩川にあった頃、Yさんというグラウンドキーパーがいた。いつも地下足袋、カーキ色の汚れた作業服上下で、帽子のツバはよれよれだったが、正面のYGマークの橙(だいだい)は妙に鮮やかだった。 無精ひげと赤ら顔の働き者で、例えば長嶋さんが早朝に堤をランニングするときはすでにグラウンドにいたし、台風の直撃で河川敷のグラウンドが水没したときは、駆けつけた藤田監督が呆然と立ちつくす中、「大丈夫でさぁ。ちょいと時間をくれれば元通りにしてみせますよ」と胸を張って見せた。不届き者が夜間、グラウンドに忍び込みマウンド周辺に汚物をまき散らしたときは本気で泣いて怒って見せたし、外野を彩る雑草はまるで芝生のようで、春先に顔を出したタンポポは踏まれてはかわいそうとシャベルでフェンス脇に除けた。 練習のない日は川縁の流木や、枯れ木などを拾って歩き、まとまると荒縄でまとめ薪とし、ダッグアウト裏に雨風が当たらないよう積み上げた。ある時、この薪を盗もうとした人間がおり、これを目撃したYさんはまるで獲物を見つけた猟犬のごとく飛び出して取り戻した。あまりの敏捷さに驚いた長嶋さんが金一封を出したという「伝説」が残った。 1月の自主トレ、2月1日のキャンプイン当日など巨人はこの多摩川で調整練習を行った。河川の、文字通り寒風吹きすさぶ環境で、唯一の暖房といえばドラム缶におこした焚き火で、Yさんが集めた薪が燃料だった。練習が終わり選手達が引き上げるとYさんはドラム缶の底に残った灰を丁寧に集めた。 さて、桜の季節になった。3月は雑用に追われ、花見に行くことが出来なかった。グラウンド脇の多摩堤もまた桜の名所である。4月始め、やっと時間がとれてサイクリングがてらここを訪れた。夜来の雨で桃色はやや薄れてはいたが、桜は青葉を彩りに陽光の中にあった。 「Yさん、焚き火の灰を集めてね、肥料にしてたんですよ。アルカリ性だって。桜の木の下に撒いてましたね。今年もきれいに咲きました」 そう教えてくれたのはグラウンド脇のおでん屋のご主人だった。店先の日だまり、猫がニャーとないた。Yさんは独身のまま、若くして亡くなっている。 恋知らぬ 猫のふり也 球あそび (正岡子規「筆まかせ」) |