その48

美しく負ける

 

 死球を受ければ誰だって怒る。ただし、当てられた選手が「当たっていない」と怒ったとしたら珍しい。
 事は1975年10月20日、阪神対中日戦で起きた。首位打者に9毛差、タイトルを狙う中日・井上弘昭はシーズン最終戦、最終打席できわどい内角球にのけぞった。
 主審の判定は死球。冗談ではない。この打席でもし、ヒットを打てば首位打者だ。たとえそのボールがユニホームの一部をかすったとしても一縷の望み、最後の一振りにかける執念はこれを認めない。
 「当たっていない」と抗議したが認められず、打率3割1分8厘で井上のシーズンは終わった。この時1厘差で首位打者になったのが、広島の4番打者・山本浩二である。広島の創設26年目、初優勝を飾った年だった。
当時、私はまだ大学2年生。こんないきさつがあったことは、この商売を始めてから小社の資料室で知った。
 「勝負に負けた気持ちは辛いだろう」。
 そういったのは敗者の井上ではなく、勝者の山本だった。そして、広島弁でこうも言った。
「心が痛むのう」。
 勝手な感慨だが、少々、やさし過ぎないか。敗者を思いやるのは。
 その広島・山本監督がチーム不振の責任を取って辞任した。
 なにしろ8年連続のBクラス、広島は昔の「広島」に戻ってしまった感がある。
 もちろん、采配に問題があったのかもしれないが、それにしても球団フロント陣の現場に対する非協力ぶり(ではないだろうが、傍目にはそう映る)は目に余った。
 主力選手をFAで次々と外へ出す。阪神の金本がいい例だ。補強は外国人選手ばかり。それでも巨人ほどの節穴ではなく、阪神に移ったシーツに見られるように、安くて優秀な選手を獲得するのは広島の伝統でもある。
 だが勝てなければ客も球場には来ない。だから儲からない。だから選手年俸が下がる。そして選手が流出する。だから勝てない。この負のサイクルが今の広島である。
 「ずっとしんどかった」は山本監督の辞任表明時の言葉である。
 「悔しいが言い訳の出来ない成績で、ファンの思いもわかっている。監督が代わればチームの雰囲気も変わる」。生え抜きで、球団経営の内情も知っているのだろう。だから多くを語ろうとはしなかった。首位打者の一件といい、辞任の言葉といい、山本浩二には何か「敗れることへの思い」が漂う。
 話題を変える。俳優の児玉清が雑誌「銀座百点」10月号(銀座百店会発行)の座談会でこんな事を話している。
 大部屋からのたたき上げで、最近は「大豆ノススメ」のCMで存在感を示している。
 「考えてみると、ぼく、もう全部負けるために生きてきたようなものでね、称賛されても納得できないし、絶えずウジウジしたものしか心に残らない。せめて美しく負けていれば、どこかで一度くらいは、美しく勝てるときがくるんじゃないかと」。
座談会のタイトルは「“美しく負ける”人生」とある。