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その47 借りは確かに… |
「香典の前借りをさせてくれ。もう一杯、飲みてぇんだ」。 驚いて相手の目を見たが、冗談ではなさそうだった。 小、中学校時代の友人がガンで死んだ。51歳。優秀な男だった。 ただ、下町の自動車部品工場を営む家業を継がず、高校を中退すると何を考えたか大阪で板前の修業をし、そして1年もたたないうちにアル中状態で戻ってきた。 「東京はさ、のれんが出ていても営業終了時間が来れば、『ラストオーダー』って仕舞いに入るだろう。大阪はな、のれんをくぐった客がいる限り、店を仕舞えないんだよ。そいつらが帰らない限り」。 だから、下っ端の彼は板前が仕事を終えるまで働き、そして板前達の晩酌につきあった。朝の遅い板前はそれで良かったが、彼には早朝の仕入れの仕事がある。「だから寝る時間なんてないんだよ。それを365日」、そして体を壊した。 ガンが発覚したのはずいぶん前のようだった。昨年、中学校の同期会には来たが、酔って暴れた。1発ぶん殴ったら「頼むよ、来年のこの会には来れないんだ」と泣いた。だから覚悟はしていたが知人から訃報が届き、「葬式が寂しくなるからさ、誰かに声をかけてくれ」と頼まれたとき「去年のこともあるからな。人が集まるかな」と気が乗らなかった。案の定、呼びかけに応えたのは3人だけだった。 彼の根城は、「K」という街の安酒場だった。二、三度一緒に行ったことがあった。同級生たちには疎まれていたが、相席ばかりの、デコラの安テーブルを囲めば「主役」だった。「T君、T君」と慕われた。老若男女、一日のあがりを頼みに杯をかわすそんな店で、投薬の副作用で、すっかり髪の抜けたかぶりを陽気に振って彼は生き返っていた。「もう一軒だけ」と粘られて行ったスナックで数杯、酒を飲むと「ちょっとトイレへ」と言ったっきり消えた。暴力バーまがいで、残された私はしかたなく金を払って店を出た。香典の前借りを許したわけである。 先日、彼の葬儀が行われた。くだんの酒場にも弔いを伝えておいたから、それと分かる連中も参列し安っぽくはあったが人がさざめいた。「巨人ファンでした」。子ども時分から知り合いの、彼の兄から聞いた。「おたくの新聞ね、あなたが入社したときからずーっととっていたんですよ、あいつ」。 埋め立て地に建った、臨海斎場の上に彼の眼のようなドロンとした月が上がり、運河を伝わってきた強い風で黒服の上着は孕んだが、さほど寒さを感じなかったのは、吹き始めたばかりの春風のせいだけではなさそうだ。 私は約束通り、香典を持っていかなかった。借りは確かに、返してもらった。 |