その43

春の音

 

  春は「音」とともに来る。
  プロ野球のキャンプが終了、オープン戦が始まり開幕が待ち遠しい。管理職になって久しい。かつてはこの時期、野球を追いかけて各地を回っていた。ふと、懐かしく思い出すのは人生の半分をとうに過ぎ、振り返る「もの」が多くなった証拠だろう。

  「振り向くな 振り向くな 後ろに夢はない」
  と、言ったのは詩人の寺山修司だが、決して後悔ではなく、アルバムのページを開くような楽しみで過去をたどることが出来るのは、それなりの恵まれた生き方をしてきたからかも知れない。
  キャンプ地から記者が戻ってきた。「どうだい、あの球団は」。昔担当したチームの仕上がり状態を、まるで孫の成長を聞くような気分で聞いている。
  「ソフトバンク、こいつが一番ですね。何たって練習が違います。楽天? いけませんねぇ。音が良くない」とは担当記者の声である。「音が良くない?」。妙な言い回しに心が動かされた。
  「例えば打撃練習。ソフトバンクは城島を始め、フリー打撃を始めるとカキーン、カキーンと金属音ですよ。ブルペンにも若手投手がずらりと並んでビュンビュン投げてます。キャッチャーのミットの音がパシッ、パシッと響き渡っていますよ」

  なるほどね。それじゃあ、楽天は?
  「フリー打撃はボスッ、ボスッって、さえない当たりばかり。ブルペンに行ってごらんなさい。ミットの音より『ストライク!』ていう審判の声ばかりが響いています。力の差は歴然ですわ」。
  なるほど、会社で能書きばかり言っている人間には味わえない、キャンプの「実感」だ。現場記者の現状分析としては、ソフトバンクも楽天も今はそんなところなのだろう。
  とあれ、春を耳で感じられる担当記者がうらやましい。

  通勤途中、春とは思えぬ寒さの中で桜の木々がふるえている。しかし、枝の節々は幼子の握りしめた拳のように、張りつめて芽吹こうとしている。
  今年はどこで春を味わうことになるのだろう。