先日、浅草の旦那衆と一杯飲む機会があった。
何気ない話しのついでに、あるお願いを申し出たら、
「ようがす」
という返事をもらった。
「ようがす? それって東京弁ですか」。これがきっかけでしばし下町言葉で盛り上がった。
「ど真ん中? そんな言葉を使うもんじゃねぇ。大阪の言葉だよ。真ん真ん中(まんまんなか)って言ってもらいてえや、江戸っ子は。真っ直ぐはまっつぐ、一直線って感じだろう」と威勢がいい。
そういえば私の父も「まっつぐ」である。「ざっかけない(乱暴な)」なんて言葉も子ども時分にずいぶん使ったものだが、いつの間にか忘れていた。
「江戸っ子はな、義理と人情とやせ我慢。これっきゃないんだ。これが意気地だ。まっとうに生きなきゃ、お天道様に申し訳ねぇ」
世の中不景気だが、しょんぼりする前に、こんな心持ち(こころもち)で威勢良く生きたいものである。
「東京の下町出身の自分が、福岡でこれだけ長く監督をするとは思ってもいなかった。運命の不思議さを感じる。僕は節目、節目でついている。ご先祖様に感謝しなきゃと思っていますよ」と言ったのはソフトバンク球団の王貞治監督。
1月26日付けのスポーツニッポンのインタビューで答えている。
「ご先祖様」なんぞ、ふいと言の端に出てくるあたり墨田の下町っ子の面目躍如といったところか。
1月11日。野球界の功労者をたたえる「野球殿堂」の特別表彰に元NHKアナウンサー、志村正順(しむら・まさより)さんが選ばれた。
91歳。戦前は1943年(昭18)の学徒出陣、野球では故沢村栄治や天覧試合の実況、相撲の中継で一世を風靡したその人。
東京は足立区、南千住の乾物商の三男。ラジオから流れる江戸っ子気質の、歯切れの良いしゃべりっぷりは「機関銃」とも「言葉がそのまま文章になる」とも言われた(残念ながら私には記憶がない。多分、聞いてはいたのだろうが)。
「空々しいことは言わない。平明な言葉でわかりやすく表現する。それが出来たのは下町で生まれたからでしょうね」(ミニコミ誌「ほっとたうん」2000年10月号)
テレビが席巻し始めた69年にスパッと退職した。その時の言葉がいい。
「百聞は一見に敵わないと思って引退を決意しました」
思わずポンと膝を叩きたくなるような、粋な言葉である。
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