その39

悪妻の素顔

 

 甲州街道を横に入って右に曲がる。街道沿いに100メートルほど歩くと世田谷区赤堤、中日・落合監督の自宅がある。

 3,4年前だろうか。落合宅での用事を終え、駅に向かって歩き始めたものの何かを背中に感じて思わず路上で振り返った。
 玄関前に信子夫人の姿が見えた。小さく一礼する姿が見えた。左に曲がれば甲州街道の地点に来て、再び振り返ると100メートル先に信子夫人がいた。
 見送ってくれている。きっと旦那の外出風景もこんなものなのだろう。

 「ほぉー、悪妻を売り物にするテレビの印象とはずいぶん違うもんだ」と思った。

 落合監督の現役時代、取材経験のない私は、もちろん信子夫人と会ったのも初めてだった。
 実は気の重い自宅訪問だった。バブル後の不況はスポーツ新聞とて例外ではなく、この日専属評論家だった落合氏の契約料減額を通告しなければならなかった。
 別に社から要請があったわけではなかったが、何人も抱えている評論家に支払う契約料はばかにならない金額になっていた。
 それぞれの評論家に順次通告を行ってきたが落合氏は新聞を通じて読む日頃の言動から、手強い相手と少々二の足を踏んでいたのである。契約していたテレビ局も打ち切りという噂があったし、落合記念館の不入りも伝えられていたから気分は憂鬱だった。

 「おっかぁ、こいつオレの契約を潰しにきたよ」
 信子夫人への紹介はこんな具合だった。テレビで聞き慣れた口のききようだったから、さほど驚きはしないが、信子夫人の反応は気になった。
 「そうですか。でもクビじゃないんですよね。それなら落合をどうぞよろしくお願いします」。

 お金に関して少々のやりとりはあったが、減額は拍子抜けするほどあっさり了解された。
 「お前もいい度胸しているじゃないか」という落合氏の言葉は冗談だったが、その落合氏に有無を言わせなかった、こちらの心根を汲んでくれた信子夫人のひと言はちょいと身にしみた。
 安堵しながら辞去したあとの風景が冒頭のシーンである。

 そう言えばダイエー王監督の故恭子夫人も、監督の車が門口を曲がるまで玄関前に立って見送った。「ああやれって言ってるんだよ」と王監督は笑ったが、ハンドルを切りながら、いつもバックミラーで夫人の姿を探していた。
 夫婦の絆はこんなところに顔をのぞかせる。

 10月1日、中日が優勝を決めた。
 胴上げの余韻の中、落合監督は「支えはオーナー1番、女房が2番」と声をあげた。
 オーナー1番? 格好つけるねぇ。1番は“おっかぁ”、だろうが。
 祝勝会場に駆けつけた信子夫人は「ここで涙は使えない。日本一の目標があるからね。明日からまたスタートだよ!」。
 猛ゲキを飛ばす“悪妻の顔”だった。

 追伸
 時差はあったが中日優勝と同じ10月1日の日付でイチローが最多安打記録を更新した。
 イチローの尊敬する打者が「落合博満」であり、落合監督が認めた打者がイチローだった。因縁を感じている。