プロ野球のストが行われた翌日、9月19日付け日刊スポーツのフロントページは一風変わったものになった。
試合の行われなかった、闇に包まれた横浜スタジアムの航空写真を紙面全体に配し、原稿は前文のみ。記事はない。
伝えたかったのはスト状態になった日本プロ野球に対する「深い悲しみ」である。
実はこの紙面、回避はされたが当初スト実施が予想された12日付けに予定されていた。
その内容は19日付けよりさらに過激だった。フロントページに小さな前文を配した上で、その他は白紙のまま発行しようと考えた。
このアイデアを最初に部下から受けたのは私である。その意図を聞いた上で、了とした。最終的に19日付けのような紙面になったのは、その間、編集局内で慎重な論議があったからだ。
いずれにせよ、伝えたかったのはスト状態になった日本プロ野球に対する「深い悲しみ」である。
前代未聞の出来事は大雑把に言って経営者側に7割、選手側に3割の責任がある、と個人的に考えている。
球団経営の破綻はこれまで何度も警鐘を鳴らしてきたことであり、例えば交流試合は5年も6年も前にファンが望み、実施を主張してきたことである。
一方、選手側にも非がある。FAに伴う異常な年俸の要求、代理人の暗躍など奇妙な駆け引きが横行した。
一部選手の傾向とはいえ、これだけ人件費が高くては球団経営もままならない。
もっとも、それを承知で選手の言い分を呑んだ球団関係者のセンスにはあきれるが。
実は今回のスト実施に絡む19日前後、私は東京に不在だった。遅ればせながら2泊3日の夏休みで北海道にいた。
いささかセンチだが1日目は田舎町で日本海に沈む夕焼けを眺めた。
翌日札幌に戻り、大学時代の友人と会った。
北海道大学の広大なキャンパス隣に住む友人は私の顔を見るなり「自転車を貸してあげるから、大学構内を見てこいよ」と促した。
台風18号の強風が札幌などに甚大な被害を与えていったことは知っていた。
北海道大学の象徴ともいえるポプラ並木。あるものは根こそぎむしられたように横転し、あるものは真っ二つにへし折れ、その折れ口は黒々とした虚(うろ)を見せ、太い幹の内部は実は空洞で、さながら木製のパイプのようだった。
「ポプラも100年立っているとこんな状態になるんだ。見た目は何ともないが、実は空っぽだったんだ。それを誰も気がつかなかったなんて、なんだか象徴的だな」と友人は話した。
プロ野球も70年。ポプラ同様この組織もまた、想像以上に空洞化していたのだろう。
「改革、改革」と口では言っていたが、ストを契機にまざまざとその虚を見せつけられた。
「深い悲しみ」から立ち直るには現実を直視し、新たな話し合いを進めるしかない。
真摯にテーブルにつこう。
10年後、100年後のプロ野球のために。 |