その18

可能性

 

 「今年、大学に入ったよ」。
 この季節、よく聞く言葉。私も同様の挨拶を受けた。
 ただし、相手は元プロ野球選手、今年で54歳になる。
 日本でも活躍したが、海外のリーグを放浪し、昨今の大リーグ人気のさきがけにもなった。
 現在、某大リーグ「極東スカウト」という肩書きも持っているが、どうもこの仕事は片手間のようで、本職は大手ビール会社女子寮の寮長というから何ともユニーク、私の愛する人物の一人ということになる。
 専攻は英語、通信教育で教職課程をマスターするという。
 「大学時代、野球ばっかりやっていたからねぇ。単位が足りない訳よ。先生になれば、高校野球の監督も教員経験を積めばなれるわけだし」。
 この不景気、再就職というもくろみはあるにせよ、その向上心には恐れ入る。
 大リーグ・エクスポズの大家友和投手が立命館大学に合格したのは3月7日だった。
 「マイナーリーグではオフに大学に通っていたチームメイトもいた。大半の野球選手は現役生活よりも引退後の生活が長い。野球しかしていなければ、引退後の人生で出来ることも限りがある」。
 こういう発想はいい。プロもアマも野球の技術だけ教えてくれる人はたくさんいるが、結局肝心なことは自分で気がつくしかない。
 さて余談。
 2000年の終わりに広島でタイムカプセルが地中から掘り出された。
 1975年に埋めた物だから、25年ぶりの開封である。
 当時、地元の要請を受けた広島球団の主力選手はサイン入りのバットやらグラブを提供した。
ただし、その中に何とも場違いな本、ディヴィッド・ナフマンゾーン博士著「神経作用の化学的および分子的基礎」が含まれていた。
 提供の主はゲイル・ホプキンス。
 広島カープが優勝した75年に外国人選手として本塁打33本、91打点と活躍した、その人である。
 現在、米シカゴで有能な外科医になっている、と近刊「文武両道、日本になし」(マーティ・キーナート著・早川書房)が伝えている。
 「人間なんて、可能性はいくらでも秘めてるものだ。野球一筋も悪くはないが、それが人生の選択を狭めているとしたら馬鹿げたことでね」。
 冒頭の、54歳の元プロ野球選手はそう言って笑った。