元巨人のエース、西本聖が今シーズンから阪神の投手コーチに就任した。
当たり前だが、本拠地は関西になる。すでに長男は米国の大学に留学、ほかの子供たちも手が掛からない。
転勤に際し、妻にお伺いをたてたが「単身赴任でどうぞ」と、とりつく島もなかった。それはそれでいいのだが、ひとつ問題があった。
「ところでお前、どうするつもりだ」。と尋ねてきたのは、監督の星野仙一だった。
住居をどうするか、と聞いてきた。
こんなところまで気がつくあたり、いかにも彼らしいところで「甲子園球場の前にホテルがあるじゃろ。あそこを根城にするなら、安くなるように掛け合ってやるが」と畳みかけてきた。
星野仙一は高級住宅地・芦屋の豪華マンション暮らしである。芦屋へ来い、と言わないのはお前の年俸では無理だろう、と思っての事だろうが、それにしても球場の傍ではなぁ、と西本は考え込んだ。
「野球で負けたら、とりわけ投手陣が打ち込まれたら、責任を感じちゃって眠れませんよ。球場前なら、確かに職住接近だが、試合後の余韻の漂う場所にいては、どうにもやりきれん。窓を開けたら、野球場ですよ」。そう言って、監督には断りを入れた。
キャンプが始まろうとしていた。オープン戦も控えている。早く住まいを決めておかなければ、ドタバタは目に見えている。
2月の上旬、やっとホテルが決まった。場所は神戸。港町だ。
「へぇー、そりゃ、おしゃれな」と半畳を入れたら「これでも考えたんですよ」と真顔である。
「窓から海の見える環境を選びました。落ち込んだ夜も、気分の良い朝も、がらりとカーテンを開けたら海が見える。気持ちが晴れます」。そうだろうね。なにしろ、あの阪神の投手コーチだ。
勝っていれば、そりゃ天国だろうが、負け始めたら罵声の集中砲火である。
騒がれるのは、いくら巨人で鍛えられたとはいえ、阪神ファンは格別だ。
「東京の巨人ファンにとって、野球はどこまで行っても趣味の世界。その点、阪神は地元の人たちにとって人生そのものですから。山と海ぐらいの違いがあるかな。これ、例えになってます?」。
「それで海か。そこまで理解しているなら安心したよ」。
そう冷やかしたら、カラカラと笑った。これなら大丈夫、かな。
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