その13

松井秀喜の呪縛

 

 先日、あるパーティに出席した。
 会費制の上に立食、もっとも気の乗らないスタイルである。
 張り切っているのは主催者だけで、女性はドレスの品評会のようだし、男どもは愚にもつかぬ話題を酒の酔いでかき混ぜながら時の経過を待つだけである。
 パーティも終わりに近づいた頃、松井秀喜が姿を見せた。
 暗く、よどんだ会場に、新鮮な酸素がそそぎ込まれたように界わいが活気づいた。
 もう巨人の選手ではない。それが証拠に、彼はたった一人でやってきた。
 つい先日までは、球団広報などがつきまとって、身辺の世話を焼いていたはずである。
 FA宣言とは、良くも悪くも球団のたがをはずされる、そういう事なのだ。
 主催者が早速、挨拶を求めた。彼は遅れてきたことを詫び、短く祝意を口にした。あとは周囲のカメラに被写体になるだけだ。そんな事を知り尽くしているようだった。
 「相変わらず遅刻の常習なんだね」。
 傍らの知人に冗談を向けたら「いやぁ、今日はテレビ局の仕事があって、それを切り上げてわざわざ駆けつけたのですよ」と真顔で反論された。
 「そんなことまでして、周囲の義理をはたそうとしなくても良さそうなもんだ」と私は少々不機嫌になった。
 会場ですれ違った瞬間、小さく目礼を受けた。いい背広を着ている。惜しむらくはネクタイの結び目、ワイシャツの第一ボタンがカラーと折り合いが悪いのか、少しめくれあがっている。
 「疲れているのかな」。そんな想いがよぎった。
 以前、こんな話をしたことがあった。彼が小学生の頃、友達をいじめたら父親からこっぴどくしかられた。
 「それ以来、人をいじめたことが無いんだって?」。そう尋ねたら「そうです」と躊躇無く答えた。
 10年前の8月16日、高校野球甲子園大会で5打席連続敬遠を受けた。マスコミの騒ぎに「僕より、相手のチームの方が大変でしょう」と答えたのは印象的だった。
 その作戦をたてた監督は今夏、全国制覇を果たし「これであの呪縛から逃れられます」と無邪気に喜んだ。
 「いじめること」を封印され、ひたすら周囲の思惑を意識しながら生きてきた男は一体、何を考えたろうか。
 パーティは終わった。松井秀喜は到着した時と同じく、ひとりぽっちで出口に向かった。しまりかけたドアに後ろ姿が、半分だけ見えた。