その10

あと一人

 

 2002年の夏は肝を潰される事が多かった。8月1日に中日・川上憲伸がノーヒット・ノーラン達成。
 月の終わりも近づいた26日は西武・西口文也が9回2死までノーヒット、あと一人で大記録を逃した。
 記録には残らなかったが、なぜか、この8月は各球団の投手が頑張り、試合の終盤までヒットを許さぬ展開が続いた。
 投げる投手も大変だろうが、編集作業をしているこちらも大記録を前にそりゃ、緊張する。
 紙面展開もグンと複雑になり、手間のかかる全投球表作成など子細を極めることになる。本音を言えば、こんなあわただしい作業は御免被りたいのである。
 「打たれた瞬間、ヒットになると思った。いいヒットだったし、ああいう場面で打った相手(ロッテ小坂)もすごい。ちょっと悔しいけど僕にはまだ早い」という西口のコメントは味わいがある。
 思い出すのは1963年8月10日の村山実(阪神=故人)、あわやの大記録にまつわるエピソードである。ここからは「記録の神様」、宇佐見徹也さんの文章(「上原の涙に何を見た」=文春文庫刊)に席を譲る。
 「八回まで打者を一人も出さず完全試合も見えていたが、代打池沢のヒットが伏線となり、翌日の巨人戦で有名な“事件”が起きる。
 同点で迎えた巨人七回の攻撃。打席に立ったのは、前日村山の完全試合の夢を打ち砕いた池沢。ここで、阪神は投手を本間勝から村山に交代。
 『昨日の借りを返してやる』。熱い闘志を胸にマウンドに上がった村山は、カウント2−2から内角低めに渾身の一球を投げ込んだが、判定はボール。
 村山は血相を変えて国友主審に体当たりし、当然ながら退場処分を受けた。よほど悔しかったのだろう。ベンチに戻った村山は大泣きに泣いた」
 「泣くな村山 明日があるさ」――こんな言葉が流行った。長嶋茂雄は「涙ながらに抗議する村山さんの姿には、鬼気迫るものを感じた。一球にかける情熱がひしひしと伝わってきた」。宇佐見さんはこう記述している。
 ノーヒット・ノーラン、完全試合を達成したのは過去70人。9回2死でついえた投手は西口で20人。考えようによっては、完全試合より、こちらの“記録”のほうが達成は難しい。
 たった、あと一人。だからこそ、投手と打者の汗にぬめる肌触り、濃密な人間の息づかいを感じる。本当のドラマはこの瞬間にないか。