現役最年長投手、ダイエー長冨浩志が引退を決めた。
広島時代に新人王を穫った快速投手といえば「あぁ、あのピッチャー」と思い出すかも知れない。
シーズンも100試合を消化する頃になると、こんな話が紙面をにぎわす。
往年の活躍を知っている者にとっては、引退が必然ではあれ、寂しくなる。
以下の話は伝聞である。
「A」、という選手がいた。入団発表の日、姉と二人だけで会場にいたから記憶がある。
両親は既に亡く、姉が親代わりだった。
その年の、そのチームのドラフト1位が「ジャンボ」の異名をとる選手だったから、160センチを僅かに越えるだけの「A」はいかにも頼りなく映った。
今、試しにライフタイムを繰ってみたが、ファームでの成績がほとんどで、プロ野球選手としての痕跡はわずかである。
ただし、この選手だけを応援するファンが二人だけいた。
河川敷での二軍戦。凡退を繰り返す彼にしきりに「A、A」と声をからす。
とにかく、連呼するのは彼の名前だけ。周囲のファンが奇異な目でこの二人を眺めたのは言うまでもない。
「A」は下町のアパートに住んでいた。入団当初はチームの合宿所に居たが、次々と入団する新人選手に部屋を明け渡し、一人住まいになった。
そして、その同じアパートに、くだんの「二人」が住んでいた。老夫婦だった。
彼が引退、というより解雇された夜、「A」が老夫婦の部屋を訪ねた。
「長い間、お世話になりました。郷里(くに)に帰ります」
アパートで、3人だけの、ささやかな送別会がひらかれ、「A」は最後に球団歌を涙声で歌った。老夫婦は手拍子で送った。
それだけの話である。
人生は哀しくて、また嬉しい。
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