その8

岡田正泰の人生

 

 ヤクルトの名物応援団長・岡田正泰さんが7月30日、亡くなられた。
 あのビニール傘応援の生みの親である。
 最初は、たった1枚のフライパンを叩いて声をからした。
 仲間が出来ると「どこの家にもある」こうもり傘を引っぱり出し、応援歌が必要になれば「だれでも知っている」東京音頭を肩を組み、歌った。
 「どこでも」、「だれでも」が岡田さんの応援信条だった。
 いい人生だったな、と思う。以前、読んだ本の一節を思い出した。

 『わたしは無駄にこの世に生まれてきたのではない また人間として生まれてきたからには無駄にこの世を過ごしたくはない
 私がこの世に生まれてきたのは私でなければ出来ない仕事が何か一つこの世にあるからだ 
 それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない
 その仕事が何であるかを見つけそのために精一杯の魂を打ち込んで行くところに
 人間として生きてきた意義と生きて行くよろこびがあるのだ』     相田みつを

 生前の写真が7月31日付、日刊スポーツの3面に載った。
 「ソレーッ」と声をあげ、右手を上方に高くかかげている。
 その腕の先の指が中空にスラリと伸びている。
 こんな人生を、私も生きてみたかった。