高校野球のシーズンがやってきた。30年も前の話である。
私も高校球児で、グラウンドの上にいた。
新設の都立高校で、夏の予選大会出場が2回目。しかし、開校以来の初勝利をあげ、3回戦までチームは進出していた。
くじ運も良かったか、会場は神宮球場が当たった。まだ、外野席は芝生で、グラウンドはもちろん土だった。
延長10回。試合は夕方にさしかかっていた。
ネット裏の銀傘とスタンドの僅かなすきまを沈みかけた太陽の、その日最後の強い光線が太い束となって突き抜けて、マウンドにいるたった1人のエースの影を長く引いた。
ピンチになって前進守備をすると、遊撃手だった私は、ヌルリと伸びた彼の、頭部の影を踏んだ。試合はサヨナラ負けだった。
プロ野球記者になって、もう一度神宮球場の、遊撃手のポジションに立ってみた。
人工芝の、靴裏に妙な弾力感が残るグラウンドだった。
「何をやっているんですか?」。旧知のグラウンドキーパーが声をかけてきた。
事情を話すと目を丸くした。「ひょっとして、負けた相手って、T高校じゃありませんか! ヒットを1本、打ったでしょう」。
今度はこちらが驚く番だった。確かに公式戦唯一のヒットがこの球場であり、ありふれた高校生活のただ一つの記憶になっている。
真ん中高めのボールを叩いたら、打球はマウンド近くでハーフバウンドとなって跳ね返り、幸運なヒットとなった。
「わたしもね、あれが唯一のマウンドだったんですよ。ヒットを打たれたのが1本だけで。それで覚えているんです」。
3年生にもなってレギュラーポジションをとれない私が、お情けでもらった「背番号6」。
彼もまたお情けの「中継ぎ投手」で公式戦ただ1回のマウンド、1イニングだった。
高校最後の試合が終わって、神宮球場近くの駄菓子屋(その当時、青山にもそんな店が路地裏にあった)で清涼飲料水「チェリオ」(いまでもあるだろうか。296ミリリットル。コカコーラと同じ値段で1・5倍くらいの量があった)をみんなと飲んだ。
先日、日伊辞典をめくっていたら「チェリオ」という単語にぶつかった。親しい者同士が交わす「さようなら」、別れの乾盃の挨拶だそうだ。
「チェリオ!」
高校野球との、別れの季節だった。たった1本、たった1球の夏。
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