その2

狸の穴
そして王貞治

 

宅への帰り道。線路脇の、狸の洞穴のような長い暗闇の途中に小さな中華料理屋がある。中国からの出稼ぎだろうか、たどたどしい日本語の若者が店を経営していた。
 仕事の関係で深夜、この道をたどるが、大抵は閉店後で明かりを見たことがない。
 とある夜更け、「狸の洞穴」に赤い光が灯った。「経営者が代わったな」。ほろ酔いで首を突っ込んだ。

 「いらっしゃい」。イントネーションで分かった。かつての仲間から店を譲り受けたのだろう。「ビールと餃子!」――無言で調理を始めたが、出された餃子は冷凍を温めただけの、御世辞にもうまいとは言えぬ代物だった。
 ぶ然として、ふと彼の背中にある食器棚を眺めた。名刺をふたまわり大きくしたザラ紙が幾枚もぶら下がり、その上部に赤い字で「お得意さま」とある。開店したばかりだからだろう。客の名前を書き込み、その客の嗜好をメモ書きしている。
 「好きの料理 熱の麺」、「飲み物 熱の日本酒」――「好きの」は「好きな」であり、「熱の日本酒」とは「熱燗」のことだろう。常連客に対する媚びであり、仕事をしくじらないための備忘録と見える。

 「餃子、まずい?」。

 正面から聞かれて面食らった。思わず吹き出した。怖いもの知らずの特権である。

 「ここはお前の国ではない。出しゃばってはいけない。」
 そう言って王貞治を育てたのはその父、故・仕福さんだった。中華料理屋「五十番」を立ち上げ、子供達を育てあげた。
 「おれはそんなことを気になんかしなかったね。毎日野球ばかりやっていた」と王さんは言うが、巨人の監督になって勝てない時期、小さなさざ波が立った。「監督として(選手に)遠慮しすぎではないか」。そんな声である。

 ダイエーの監督になって、王さんがある日本人選手をダッグアウトの中で殴った。「本当に殴ったのですか?」。そう尋ねると「おれの椅子に足が引っかかって転がっただけだよ」。答えにはなっていなかった。しかし、その一件があった年からダイエーは強くなった。王さんの、何かが吹っ切れたような気がした。

 ペナントレースが始まった。王さんは一流の監督になった。それでも勝つときもあれば、負ける時もある。さい配批判のかまびすしい時もある。

 「わたしの野球、まずい?」。今の王さんなら、そう言って居直れるだろう。ずいぶん時間がかかった。中華料理屋の若者とは、過ごした時代が違っている。