その1

蝶と蚤

 

人の新外国人、ジョン・ワズディン投手はナーバスな男らしい。初めてオープン戦に登板した際、日本独特の鳴り物応援にえらく動揺したようだ。「あの時は『胃の中に蝶(チョウ)がいる』ぐらい緊張した。音に動揺? たばこのフィルターでも耳に入れてみようかな」とコメントしている。

 「胃に蝶」? 聞き慣れない言葉だ。早速、辞書を引いてみたら、あった。
I have butterflies in my stomach――直訳である。「緊張しているの!」といった意味になるそうだ。米国での社会不安障害のベスト3はうつ病、アルコール依存症、そして精神障害だが、この原因の多くはストレス。なるほど、胃の中で蝶がバタついてはイライラがつのる。ワズディン君が日本で障害を起こさないことを祈るばかりだ。

  実は体内にノミ(蚤)を飼っていた男、プロ野球選手を知っている。種を明かせば「ノミの心臓」。
 ドラフトでプロ野球に飛び込んで来たくらいだから、体力、運動神経は問題なかろうが、いかにも気が弱い。ブルペンでの投球はほれぼれするのだが、いざ実戦になるとノミが逃げ出すほどのピッチング。「これが本当のノミ逃げ」と皮肉ったくらいだから想像して欲しい。
 さすがにこたえたのだろう。彼はある能力者にすがりついた。そのもとで自主トレまで行ったというのだから、切実感は並々ならぬものがある。

 「で、どんなご託宣で?」と尋ねたら「マウンドに上がる前に、ビールを一罐飲んで行けって言うんですよ」と本人は真顔である。もう時効だろうから話を続ける。
 どうやら彼は、これを実行したようだ。ベンチに持ち込む魔法瓶にビールを忍ばせた。信じられないことだが、彼はめきめき売り出した。
 最初は敗戦処理の中継ぎだったが、そのうち勝ちゲームを任され、ローテーションの谷間には先発が巡ってくるほどになった。名誉のために付け加えるが、彼が酔っぱらってマウンドの上がった? のは僅かの機会だけだ。勝ち星をあげるにつれ自信をつけた。実力で一人前になった。それが人生というものだろう。

 昔から日本人は虫とは相性が悪いようだ。虫が好かない、虫唾が走る、弱気の虫、虫けらとまで言われたら最後である。余談ながら、せっかく大成した彼だが、業界で俗に言う「ネズミ」、肘の軟骨除去手術から衰えユニホームを脱いだ。「ノミとネズミにやられました。ネズミさえなければ今頃、野球殿堂入り。これは虫の良すぎる話でしょうか?」。

 この問いかけにどう答えるべきだろうか。